農業大学校

【農業大学校】愛媛県の農業研修 担い手支援塾3日目の様子

もくじ

午前中は病害虫の講義

9時から12時まで、間に10分ほどの休憩を挟んで約3時間の講義。
だから、けっこう長くて本格的です。農業大学校の講義室でしますので、なんだが学生に戻った気分になりますね。

農薬を使うか使わないか?

家庭菜園に取り組んでいる方の多くは、農薬を使わないでしょう。
塾に来られる方の中には、農薬を使いたくないんです。という方も多いようです。では、実際にビジネスとして取り組む場合はどうなのでしょうか。農業に携わる書籍から見ていきましょう。


 

『虫たちと作った世界に一つだけのレモン』の著者の河合浩樹氏はこう述べています。

~地球の裏側や何方から運ばれてきたレモンを見かけるが、いったいどれだけの日数をかけて船に揺られてくるか、溜息がでてしまう。

そして、長期の保存を可能にするために使用される農薬
『ポストハーベスト』『イザマリル』『OPP』『TBZ』などには、発がん性や、急性中毒、嘔吐、めまい、肝臓障害などが報告されている。

これらは、日持ちするためにレモンの皮にかけられており、輸入レモンにはワックスに混ぜられて使用されることが多い。国産レモンはワックスは不使用である。

れらはあくまでの著書の見解であり、総じて外国産が悪いということではありません。


『成功する農業』の著者、岩佐大輝氏はこのように述べています。

「有機でやりたいという人を止める気はまったくないのですが、いったいどのくらいのハードコアにやることをイメージしているのか、それがどれくらい大変なのかを確認したほうがいいでしょう。」
「フェアに申告しておくと、僕は個人的にオーガニックなるものをそんなの良いものだとはおもっていません」

オーガニックブームは、先進国のお金持ち、意識高い系の発想で、ワールドワイドに見て、今日食べる食料がない国や、貧しい国が大半で、無農薬では人間が生きていく上で必要な食糧生産量が足りなくなります。

と述べています。

このように、農薬に関する考え方は、相反しています。
実際に本日の抗議でも、先生の言葉の節々には、農薬反対派と使用派の対立はあるということを示していました。

僕が、農業の研修を受けている間隔でも、農業従事者の方たちは、農薬使用の有無の議論すらなく、使用は当たり前というのが印象でした。

ちなみに、無農薬や有機栽培の定義は曖昧ですが、国が認定した有機栽培農家とは全体の1%もいないのです。

だから、農薬使用派vs無農薬派という構図はあるようでないようなものなのですね。

 

農薬の歴史

まずは、農薬を知るための歴史の勉強です。

日本では古来より、自然農法が行われていました。
もちろん、薬なんてなかった時代ですから当然ですね、だけど、僕が思うには経験で知っている事を実践していたんだという事です。コンパニオンプランツや、お酢や様々な物が植物に良いと経験則で知っていたのでしょう、虫を使った害虫の駆除もきっと盛んに行われていた事でしょう。

ともあれ、日本最古の農薬は

 

西暦(以下省略)1600年・・・家伝殺虫散
現在の島根県に住んでいた松田内記という人物が「家伝殺虫散」というものを発明し、文書に残しています。これが記録に残っている日本最古の農薬です。トリカブトや樟脳など五種類の薬品を混合した物で、ウンカや猪に効果があるとされています。この人物は観察眼に長けていたようで、ウンカの生態などについて現在のレベルで見ても正確な記載を行っています。

農薬ネットより引用

という事になっています。
まさに天下分け目の合戦が行われていた時に、もっと重要(!?)な現代にまで続く農業のための研究をしていたのは不思議ですね。
日本は、戦争を放棄していますから、こちらの研究の方が長生きしたのでしょうか。

1697年・・・農業全書と宮崎安貞
この年、福岡在住の「宮崎安貞」は農業全書全10巻を完成させました。これは、最初にして最大の農業指南書であり、大きな反響がありました。その中に農薬のことも記載されており、タバコの煮汁や硫黄を燃やした煙など効果が十分期待できる物も含まれています。しかし、実際にどの程度実行されたのかはわかりません。

農薬ネットより引用

1697年の日本の大きな出来事といえば、元禄の大火とこの農業全書の刊行という2つしかありません。そんな希少な出来事に数えられるとはすごい書物ですね。

世界では、3月30日 – スペイン人の攻撃によりタヤサルが陥落。マヤ文明の滅亡。という出来事があります。

マヤ文明と言えば、紀元前2000年頃より続く一大文明で、他の文明が『大河』とともにある大河文明であるのに対して、小さい川の水を利用した感慨農法や、泉を利用した農耕、山地においては段々畑が作られていたようです。

じょこうろく【除蝗録】

大蔵永常が1826年(文政9)に刊行した農書。日本の凶作の原因が害虫とくにウンカの発生にあるとして,その駆除法を考察し,鯨油をまくことによる効用と使用法を説いた。さらに44年(弘化1)に《除蝗録後編》を刊行し,鯨油を入手できない地方のためにカラシ油・桐油・魚油などの製法と使用法を記述した。両書は害虫防除や農薬に関する記述としては日本最初のものである。《日本農書全集》所収。【岡 光夫】
コトバンクより
くじらの油を、水田に注入してウンカの除去をしたようです。
段々と、農薬らしくなってきましたね。そして、欧州では1700年代頃から、防虫菊が作物を害虫から守ることが分かっており、明治以降日本でも育てられるようになっていました。
誰もが知るキンチョールのキンチョーです。正式名称は『大日本除虫菊株式会社』は、そんな防虫菊から蚊取り線香を発明し、今では日本が誇る大企業ですね。
~以下引用~日本では弊社の創業者である和歌山県出身の上山英一郎(うえやま えいいちろう)が明治19年(1886)にアメリカのH.E.アモア氏から除虫菊の種子を贈られ、渦巻型の蚊取り線香を発明しました。 上山英一郎は和歌山県や広島県・香川県を中心とした瀬戸内地方、北海道など日本の各地で除虫菊の栽培を奨励しました。
1924年には、防虫菊の有効成分が判明しました。
そして1932年に日本の武居氏らによって、デリス根の有効成分がロテノンという化学物質であることが判明し、日本人が農薬分野で世界的に認められる発明をしたのです。
1930年代以降は日本の農村でも、農薬が本格的に普及し始めました。300年における準備期間を経て、昭和初期より『農業と農薬』という物が一体化してきたのですね。そのご、『DDT』という物質が農業用、免疫用に有効であることが確認され、農薬史上もっとも有名な発見となりました。
ちなみに、日独はこの『DDT』の重要性に気付かず、戦時中に多くのマラリア感染者を出しましたが、米英は『DDT』を戦場で用いたため感染者をあまり出さずに、日本敗戦の一因になったと言われています。敗戦後、GHQは日本の子どもたちが真っ白になるほどこの『DDT』を振りかけました、結果多くの感染症が防がれたことは事実です。現在は、発がん性物質であることや、環境ホルモンに影響があることから『DDT』の使用は禁止されていますが、当時は『DDT』規制の影響で多くのマラリア病感染者を出し、『DDT』の危険度とマラリアの危険度が議論された程です。
1948年には、農薬取締法が制定されます。これにより、外国からの新農薬を導入することになります。
発見当時の人は、農薬の危険性というものは認識出来なかったでしょうが、やはり害虫に効果がある=人にも害があるという事も認識されるようになり、同時に『自然農法』という農業も研究されることになったのです。
『農薬』と『自然』農法は、相いれぬ性質を持っていますが、このときから始まったのですね。この後、科学の発展とともに、『DDT』を始めとする様々な農薬の危険性が認識され、農薬による事故や事件も多発しました。
1971年には、農薬取締法大改正が行われました。
この時を堺に『近代農業』から『現代農業』に移行したのです。
少し、退屈だったでしょうか・・・?実践的な事を学びたい生徒にとって少し眠くなる時間だったかも知れません。
けど、投資の世界ではこんな意見をよく聞きます。
投資(株やFX)は危ない、いっとき良い目を見ても、最後には破産する。真面目にコツコツが一番だ!!
なんてよくある話です。でも、本当に投資が危ないのでしょうか?
一つの例えとして
年金積立金管理運用独立行政法人(略称はGPIF)はみなさんの年金を預かり運用(つまり投資)しています。150兆円もの資産を安定して投資しています。
分散投資、長期投資をして、十分な運用実績を誇っていますが、彼らが行っているのが『資産形成のための投資』なのです。

一方、投資は危険と言われるのは本当で、GPIFは巨大なプロ投資家集団だとしたら、多くの一般の方は『ギャンブルとしての投資』をしていますから、それは刺激的で楽しく、先行きがいつも気になって、資産を減らします。

だから、投資が危険なのではなくて、投資を知らない事が危険なのです。
それをそのまま農薬に当てはめて考えると
『農薬』が危険なのではなくて、『農薬』を知らないことが危険なのです。

400年に渡る農薬の歴史を知ることで、現代の農薬はどれほどきちんと管理され、適正に使用すれば安全なのかが分かりますね。

また、話は逸れますが、今世間を騒がせている超大物芸人たちが所属する組織も『コンプライアンスの徹底』を全面に押し出しています、昨今続く建築業界の建築基準法違反や、金融界の不正融資、また日本郵政の投信販売の不正などなどの度に、各界で『コンプライアンスの順守徹底』が叫ばれています。最近では『コンプライアンス』が略され『コンプラ』で通じるようになってきました。今年の流行語にノミネートされるのじゃないかと思っていますが・・・。

栽培方法の違い

授業はこんな感じで進んでいきます。上記の内容は僕があらたに付け加えた内容も多いですが、実践農業では知らなくてもいいとも言えますが、僕はせっかくだからそういった過去もしることによって、農薬を使うか、使わないかなどの判定にもかっことした信念が持てると考えています。

ところで、『有機栽培』『自然農法』『無農薬栽培』など出てきますが、いったいどう違うのでしょうか・・・?消費者にとっては、だいたいどれも同じに感じているでしょうね。

実際の違いは長くなりますので、別の記事にまとめてご紹介します。

農薬の種類や使用方法

農薬は現在でも4000を越える種類が登録されております。
作物に寄っても違う散布方法で、病気によっても違ってきます、人によっても違いますし、地域ごとに

例:虫Aには農薬Aに対する抵抗が付いているが、農薬Bは有効
他の地域の虫Aには、未だに農薬Aは有効

など、地域によっても違いがあり、どのような種類の農薬を使うかは県によっても定められています。

散布量、散布回数、散布して良い期間などがすべて決まっていますので、講義中にそれらをすべて覚えるのは困難です。なので、そのつど正規の販売業者から確認しながら使っていくのが良さそうです。

重要

農薬の使用法、管理方法は農薬取締法によって、厳しく指定されています。その結果、日本の消費者は慣行農業(農薬使用)で作られた作物を安心して食べられることが出来るのです。
近年でも時折、決まりを守らなかった生産者が問題になることがあります。

それは、違反であるとともに、食に対する根本的な信用問題ですから、農業を目指すに当たって、農薬に関してもしっかりと扱っていきたいですね。

午後の実習は『柿の摘果』

この日の実習は柿の摘果作業でした。

桃の摘果→ブドウのジベレリン処理→柿の摘果という流れです。

柿の摘果は三回に分けて行うようです。
一回目・・・粗摘果(6月中旬)
二回目・・・仕上げ摘果(7月上旬)
三回目・・・修正摘果(8月)

本日の実習では、一回目の粗摘果になりますね。

生理落果の少ない品種や大玉生産が必要な品種。着果過多樹、樹勢の弱い樹などから実施する。奇形果や傷果、遅れ花果を除き、同時に花弁(花かす)も取り除く。
一枝一果を基本とするとともに、5葉以下の弱い結果枝の果実や、上向き果は全部取り除く。

ということです。

絵心の無さが悔やまれますが、少しづつ上達していくと思うので、よろしくお願いします。
そして、柿の傘の部分は通常4枚ですが、時折5枚あるものがありますのでそれも落とします。

はじめは、成っている(成りかけている)実を落とすこと自体に抵抗がありましたが、段々とその感覚にも慣れてきました。

受講生の年齢層が飛躍的に若くなっているという話でいたが、現在35歳の僕よりも若く25歳以下の方も4~5人はいます。三回も講義を重ねると、少しづつコミュニティケーションが取れるようになってきています。
去年の参加者は、最若手でも28歳だということでしたから、近い将来、農業の世界の若返りが起こっていくのかもしれません。

さいごに

こうしてみると、本当に農業の担い手は不足するのかな・・・?という気さえしますが。

大きな目でみるとそうなのでしょうね。

最近では、サラリーマンであっても初任給年収1000万円を越える求人がある時代です。昔に就職した人からすると溜息の出る話ですが。農業の世界にはそんなイノベーションは来るのでしょうか?

スマート農業と言ってもまだまだ実用段階とは言えず、国が手厚く補助してくれていますが、農業の世界でも、もっとキラキラ輝く人が出てきたら良いんじゃないかと思います。古い慣習では、やはり農業をお金で見るのを嫌うむきがあるような気がします。

農業に関わる起業を目指すために、まずはしっかり農作物を育てられる人間になるという目標で研修に参加しました。ここで学んでいることは今まで全く農業に関わる事のなかった僕にとって想像以上に有意義です。
事業承継での成功事例に多いのは、先代の後を素直に引き継いだ人ではなくて、一度社会に出て、企業で培ったノウハウを持ち帰り、革新的なイノベーションを起こすパターンがお多いのです。

参加者の多くが農業に関わる方たちですから、全く畑違いの僕にしか感じないことはあるはずです。

農業の基礎的な知識実践はもとより、先生の話す言葉参加者の方々がどんな言葉を話すのか、どう考えているのかなどなど、どのような事も吸収しなんとか農業の世界で役に立てる人間になりたいものです。